豊胸が行われていたと言っても、一般的なものではありませんでした。当時のヨーロッパにおいて、その豊胸手術を受けていたのは、売春婦であったり、美貌を売りにしている商売の女性たちが主でした。一般の女性たちとは、少し離れた世界で生活している彼女たちは、こぞってその未発達で危険な豊胸手術を受けていたのでした。しかし、そうまでしてでも受ける価値が、その豊胸手術にはあったのでしょう。胸が豊かで大きいというのは、女性にとっていつの時代においても、憧れの存在なのですから。
豊胸の技術がまだ未熟であったため、パラフィンを注入するという方法が取られていましたが、やはりその粗雑な手術によって感染症をひきおこしたり、胸の形が変形したりなど、様々な問題が起こっていたようです。
豊胸の手術は1920年当時、まだ日本では行われていませんでした。日本では、1960年ごろにオルガノーゲンという石油系の物質を胸に注入するという美容外科医がいたようです。やはりこの施術も、未発達のものであり、また、この材料についても無知であったため、オルガノーゲンにより異物肉芽種ができてしまい、それが胸の筋肉にまで広がり、命まで危険にさらされるということが実際にあったと言われています。
豊胸はその後、だんだんと技術や材料が発達していきます。パラフィンの次に使用されはじめたのは、人間の脂肪でした。これは、直接おなかや太ももから取り出した脂肪を移植するというものでした。しかし、現在の脂肪移植とは違い、そのままのものを移植するもので、定着は悪く、いびつな形になったり、傷跡が酷く残ったり、やはり感染症を引き起こしてしまうこともあったようです。
豊胸はその後も発達をしますが、シリコンを直接注入するものが次に現れました。しかし、人工的なものであるシリコンを直接体内に入れるというのも、非常におそろしいものであり、炎症をおこしたり、組織を損傷させたりなど、これにもさまざまな弊害がありました。これにより、現代でいう、バッグのようなものが考えられ、最初はゴムでシリコンを覆うことからはじまりました。しかし、ゴムに発ガン性があったり、ゴムの損傷によりシリコンが漏れ出したりして、問題はつきなかったのです。